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東京高等裁判所 昭和30年(行ナ)47号 判決 1958年3月27日

原告 イーストマン・コダツク・コンパニー

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

原告のため上告附加期間を二ケ月とする。

事実

原告訴訟代理人は、特許庁が同庁昭和三十年抗告審判第五〇四号事件につき昭和三十年六月二日にした審決を取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、その請求の原因として、

一、本願発明は西暦一九三八年三月十三日アメリカ合衆国に於てなした出願に基き優先権を主張して昭和十四年三月十五日の特許出願に係り、昭和二十六年一月二十三日連合国人工業所有権戦後措置令第七条第一項により手続を回復したものであり、昭和二十六年三月三十日に特許出願公告となつたが、特許異議の申立がされ、昭和二十九年六月二十九日特許異議の決定と同時に拒絶査定があり、これに対し昭和三十年三月七日抗告審判請求がされ、同事件は特許庁昭和三十年抗告審判第五〇四号事件として審理された上、昭和三十年六月二日右請求を排斥する旨の審決がされ、右審決書謄本は同月十五日に原告代理人に送達された。而して本願は最初アメリカ合衆国の国籍を有する法人デイステイレーシヨン、プロダクツ、インコーポレーテツドに於て出願したものであるところ、一九五二年(昭和二十七年)七月二十五日に同国籍を有する法人なる原告が右出願に関する一切の権利を譲り受け、同年九月八日右譲受による出願人名義変更届をし、その以後は出願人を原告として以上の手続が行われたのである。

審決はその理由において英国特許第四一五〇八八号明細書及び日本特許第九五七五九号明細書を引用し、本願発明が右公知の引用例から当業者の容易にし得る程度のものであつて、特許法第一条に規定する発明を構成しないものとしている。

二、然しながら審決は次の理由により誤つたものである。即ち

本願発明の要旨は「脂溶性ヴイタミン並に遊離脂肪酸を含有せる油例えば海産動物油に高度の真空蒸溜を受けしめ、ヴイタミン分子を邪魔せられざる空所によりて蒸溜箇所より分離されたる凝縮面上に凝縮せしめて前記の油よりヴイタミン濃縮物を製造するに当り、高度の真空蒸溜を行う前に、油を中和するには充分なれども油を実質的に鹸化せしむるには充分ならざる量のアルカリにて油を処理することによりて油の遊離脂肪酸含有分を中和せしめ、然る後油を生成せる石鹸より分離せしめ、高度の真空蒸溜を受けしめることを特徴とする脂溶性ヴイタミン並に遊離脂肪酸を含有せる油例えば海産動物油よりヴイタミン濃縮物を製造する方法」に存し、この方法によつて得られるヴイタミンAは天然のエステル形のものであつて、従来ヴイタミンA濃縮法として採用された鹸化法によつて非天然のアルコール形に変形された製品に比し、高度の安定性を有し、本願発明の方法はヴイタミンA製造技術上劃期的な進歩をもたらしたのである。けだし遊離脂肪酸はこれと同時に存在する物質の酸化を促進し、また遊離脂肪酸をヴイタミンAと共に加熱すればヴイタミンAは低い力価のものに変化し、更に又油が鹸化する場合にはエステル形のヴイタミンAはアルコール形のヴイタミンAに変化し、その力価、安定性は著しく低下するからである。

然るに審決は前記引用「英国特許明細書には精製された肝油を分子蒸溜に附してこれからヴイタミンA濃縮物を製造する方法が記載され、この方法は公知である」としているが、これは右明細書を正しく解釈したものではなく、即ち右明細書は「粗製の油類又は精製した油類を使用でき、またこの発明の方法はヴイタミンの予備処理用、精製用又は濃縮用の周知の方法と組合せて使用できる」と述べており、精製油を使用して特定の利益が得られることは何等教えていないのである。なお従来多数の油脂精製法があるけれども、遊離脂肪酸を中和するものは殆どないのである。右英国特許ではたとえ精製された油が使用されるとしても、本願発明に示すような特定の調整されたアルカリ精製に関しては何等触れるところがないのである。

又英国特許明細書ではその実施例において油を鹸化し、次いで真空蒸溜することが示されてあるが、このように油を鹸化すれば天然にエステル形で存在するヴイタミンAの形を非天然のアルコール形に変化させるから、その製品は安定性が低く、満足し得るものでない。

次に審決引用の日本特許第九五七五九号につき、審決は右特許明細書記載の方法が肝油の精製法に係るものと認定しているが、右特許は肝油の原料たる肝臓から肝油を採取する方法であつて、肝油の精製方法に関するものではない。即ちこの方法ではアルカリ溶液で処理し固形物質の大部分が溶解するまで混合物を加熱するのであり、アルカリ使用の目的は肝臓の油を包んでいる組織を溶解又は破壊して肝油を取り出すにある。これに反して本願の発明は肝臓から油を抽出するものではなくて、抽出された油からヴイタミン濃縮物を生成することに関するものであつて、審決引用の日本特許とはその目的を全く異にし、且両者のアルカリ処理の条件は異つており、彼此代替し得ないものである。

次に引用日本特許及び英国特許の両方法を組み合せることによつても、本願発明の目的を達成することはできない。何となれば本願発明の方法により遊離酸だけを中和した油と、右日本特許の方法による製油とは前記の通りその性質を異にしているからである。更に又油は粗製品も精製品も一般に運搬又は貯蔵中に酸敗して遊離脂肪酸の含量を増加する傾向がある。而して肝臓からの肝油の採取と肝油からのヴイタミンの製造とはその立地条件を著しく異にするから、同一工場においてこの両者を連続して遂行することは殆んどあり得ず、従つて日本特許の方法によつて採取された肝油は、これがヴイタミン製造工場において使用される場合には常に遊離脂肪酸を含むものと見なければならないのである。日本特許の方法はいわゆる「肝臓消化法」であるが、英国特許の発明当時既に知られていたに拘らず、別段利用されていなかつたのである。本願発明のようなアルカリ予備処理工程と真空蒸溜との組合せは、エステル形のヴイタミンA濃縮物が顕著な安定性を有するという認識を前提として始めて創造されるのであつて、このような知見なしには夢想だにすることができないのである。

以上述べたところにより明かなように審決は本願発明の要旨を充分に理解せず、引用文献を正しく理解しないことに起因してされた誤つたものである。

三、よつて原告は審決の取消を求める為本訴に及んだ。

と述べた。(立証省略)

被告指定代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、

原告の請求原因事実中一の事実を認める。

請求原因二の主張につき、

本願発明の要旨が原告主張の通りであることは認める。

審決引用の英国特許明細書には分子蒸溜するのに原料として精製油が使用されること及び右方法はヴイタミンの精製或は濃縮の為の予備処理方法と併用できることが記載されてあり、しかも原料として精製したものを使用する場合が良好であることは当業者の技術常識であり、そのことは右明細書にも精製油を使用する場合の実施例が挙げられていることによつても明らかである。一方本願発明における精製法は極めて周知のものであるから、審決が本願の方法が公知の英国特許明細書から当業者の容易にし得る程度のものとしたのは正当であつて、原告主張のように引用特許明細書の解釈を誤つてはいない。

アルカリを使用して油脂中の遊離脂肪酸を除去し、又は中和する精製法は油脂の化学的精製法の最も代表的なものであつて、本件特許出願前周知の事実であり(乙第三、第四号証及び第五号証の二参照)、このような精製法を採用することは極めて容易に行い得ることである。原告が本願発明における特定の調整されたアルカリ精製法と称する方法は前記の周知の精製法と同じであつて、何等特殊のものではなく、又その精製の効果も特許第九五七五九号明細書の記載から容易に推考し得られる程度のものに過ぎない。

次に審決引用の特許第九五七五九号の発明は単なる肝油の抽出法ではなくて、抽出及び精製を兼ねていることはその明細書の記載から見て明らかであつて、右特許が肝油の精製方法に関するものではないとの原告の主張は誤つている。尚審決では右明細書を油脂の精製にはアルカリは中和の程度がよいことを示す為に引用しているのであるから、右特許と本願発明とが全体の目的を異にしていることは当然であるけれども、右引用の趣旨には誤がないのである。

尚特許第九五七五九号ではアルカリの使用量は遊離酸を中和する程度に止める旨その明細書に記載されてあるから、仮に極めて僅かに油の鹸化が行われるとしても、同特許が油の鹸化を許容するものと解するのは誤である。

これを要するに本願発明の第一工程たる「油中の遊離脂肪酸を中和するには充分であるが、油を実質的に鹸化せしめるには充分でない量のアルカリで油を処理する」ことは、引用特許第九五七五九号明細書等により極めて周知のものであることが明らかであり、このような精製法を審決引用の英国特許明細書に示された肝油の分子蒸溜操作の前処理に適用することは極めて容易にし得ることであつて、新規の発明にはならない。

と述べた。(立証省略)

理由

原告の請求原因一の事実は被告の認めるところである。

本願発明の要旨が「脂溶性ヴイタミン並に遊離脂肪酸を含有せる油例えば海産動物油に高度の真空蒸溜を受けしめ、ヴイタミン分子を邪魔せられざる空所によりて蒸溜箇所より分離されたる凝縮面上に凝縮せしめて前記の油よりヴイタミン濃縮物を製造するに当り、高度の真空蒸溜を行う前に、油を中和するには充分なれども油を実質的に鹸化せしむるには充分ならざる量のアルカリにて油を処理することによりて油の遊離脂肪酸含有分を中和せしめ、然る後油を生成せる石鹸より分離せしめ、高度の真空蒸溜を受けしめることを特徴とする脂溶性ヴイタミン並に遊離脂肪酸を含有せる油例えば海産動物油よりヴイタミン濃縮物を製造する方法」に存することは当事者間争のないところであつて、これを要約すれば「脂溶性ヴイタミンを含有する油を分子蒸溜に附してヴイタミン濃縮物を製造するに当り、予め油中に含有されている遊離脂肪酸を中和するには充分であるが、油自体を実質的に鹸化するには不充分な量のアルカリで油を処理して遊離脂肪酸を中和し、これによつて生成された石鹸を分離した後、油を分子蒸溜する方法」に帰するものというべく、成立に争のない甲第一号証(右特許公報)によれば右発明の目的は脂肪酸を殆ど含まない良質、高力価のヴイタミンA濃縮物を得るにあつて、右公報には実施例として一瓦につき一〇六〇〇単位のヴイタミンA力価を有し、酸価一・八、遊離脂肪酸含有分〇・九の鱈肝油を原料とする場合が示されてあることが認められる。

次に成立に争のない甲第六号証及び乙第一号証によれば、審決引用の英国特許第四一五〇八八号の発明はヴイタミンを含有する肝油或はその誘導体を水銀柱〇・〇一―〇・〇〇〇一耗の高度真空下で分子蒸溜してヴイタミンに富んだ油を製造する方法であり、その特許明細書には粗油或は精製油を使用し得ること、又この方法はヴイタミンの予備処理用、精製用或は濃縮用の既知の方法と組み合せて使用し得ることが示されてあり、実施例としてはアルコール分解した肝油、或は鹸化した肝油等を原料とした場合が挙げられてあることが認められる。

本願発明と右英国特許発明とを比較するに、両者は例えば肝油のような脂溶性ヴイタミンを含有する油を分子蒸溜してヴイタミン濃縮物を製造する方法に関するものである点で一致しており、相違点と認められるのは、本願発明では右分子蒸溜の前処理として油をそれに含有されている遊離脂肪酸を中和するには充分であるが、油を実質的に鹸化するには充分でない量のアルカリで処理して遊離脂肪酸を中和し、生成した石鹸を分離する操作を行うのに対し、英国特許では右と対照すべきものとして示されているのは油をアルカリで処理して鹸化し、不鹸化物を抽出して分子蒸溜に附する点であり、換言すれば、分子蒸溜前のアルカリ処理において、本願発明では遊離脂肪酸の中和に止めて油自体は鹸化されないようにするのに対し、引用英国特許では遊離脂肪酸の中和のみならず、油の鹸化をも行う点である。そこで右の相違点につき更に検討するに、両者間に右の差異はあるけれども、右英国特許明細書には前記のようにその分子蒸溜操作は精製油について行い得ることは勿論、ヴイタミンの精製用、濃縮用等の既知の方法と組み合せて使用し得る旨記載してあるから、本願発明の新規性の有無を決するにつき問題となる点は、本願発明におけるアルカリ処理、即ち油中の遊離脂肪酸のみを中和し、油を実質的に鹸化しないようにする精製法が既知の技術であるかどうかということに帰着するわけであるところ、成立に争のない乙第三及び第四号証の各一乃至三によれば油脂類の精製法として苛性ソーダ等のアルカリを用いて遊離脂肪酸を中和し生成した石鹸を分離除去することは本件特許前刊行物に掲載され公知となつていたことが明らかであり、しかもこのようなアルカリによる中和処理に当つて使用するアルカリの量を遊離脂肪酸を中和するに止め、油自体が鹸化されない程度に調節することは極めて当然な何人にも容易に想到し得ることであつて、このような方法を採用することが何等特別の発明力を必要とするものと解することはできない。

更に又成立に争のない乙第二号証なる審決引用の特許第九五七五九号明細書によれば、同特許は昭和七年二月五日公告され同年五月九日特許されたものであるがその発明は鱈類、鮫類その他一般動物の肝臓又は普通の方法で肝油製造を行つた之等の肝臓残渣からアルカリを用いて肝油を抽出製造する方法に関するものであることを認め得るけれども、同明細書には右のように肝臓からアルカリを用いて肝油を抽出する場合に、該アルカリの量は油を鹸化する程度でなく、ただ肝臓組織蛋白に作用し、遊離脂肪酸を中和する程度に止めるときは、ヴイタミンの濃度の高い肝油を抽出し得べき旨の記載の存することが認められ、この事実も又前記のアルカリによる精製法が本願前公知であつたことを示すものというべきである。

以上すべての認定は本件にあらわれたすべての資料によつても、これを覆えすに足りない。

以上説示した通り、脂溶性ヴイタミンを含有する油、例えば肝油を分子蒸溜してヴイタミン濃縮物を製造すること並びにこの分子蒸溜は精製油について行い得ることは勿論、既知の油の精製法と組み合せて行い得ることが審決引用の英国特許第四一五〇八八号明細書により公知となつており、一方油の精製法として、油をそれに含有されている遊離脂肪酸を中和するには充分であり、油を鹸化するには充分でない程度の量のアルカリで処理して、生成する石鹸を分離除去する方法も又公知の事実と認められ、本願発明は結局これ等の公知事実から格別発明力を用いずしてなし得る程度のものと認められるから、特許法第一条にいわゆる新規な工業的発明を構成するに足りないものというべく、以上と同旨の見解の下に本件特許出願を排斥した審決は相当であつて、これと異る見解に立つて審決の取消を求める本訴請求は失当である。よつて民事訴訟法第八十九条及び第百五十八条第二項を適用して主文の通り判決した。

(裁判官 内田護文 原増司 高井常太郎)

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